ことはのあや

日々の想いや雑感をできるだけ飾らず発信します。文体や一人称に揺らぎが見られるのは仕様です。悪しからず。

卒論を舐めプした結果www

卒論出せずに留年することと相成りました。

1月末が〆切で、そこから1か月ほど経過したので
・この1か月、どんな風に過ごしていたのか
・これからどうするのか
を中心に書きます。

学生の皆さんには僕の経験を「反面教師」として参考にしてもらい、くれぐれも同じような失敗をしないように気を付けてもらいたいなあ と。
(どの口が言ってんだ って話ですが…)


で、以下のように進めていきます。

なぜ卒論が書けなかったのか分析した結果

要因を3つ考えました。

  1. 学業以外が充実し過ぎた
  2. 孤独、居場所がなかった
  3. 卒論する意味を考えすぎておかしくなった

こんなとこかなあ。



1.学業以外が充実し過ぎた

自分は学外でちょこまかと活動してます。
大学での勉強<<<<<学外の活動
構図としては、こんな感じだったんで勉強への意欲が年月を減る毎に失せていきました。
今思うと休学とか転学部とかすりゃあ良かったんでしょうけど、そこまでは考えられませんでした。
そこは非常にもったいなかったなあ。
学業は一旦置いといて、他の分野で究極まで尖るのが最善の策でした。



2.孤独、居場所がなかった

孤独は自分の永遠の課題ですねえ。。
生来寂しがりやなのもあるんですけど、理系の合同で研究するのがどれほど羨ましかったか。
一人で研究して一人で卒論にまとめるのは自分に不向きでした。
これはなかなか良い気付きだったような。
卒論に関する大学の演習も自分にとっては地獄だったので、いかに自分が担当の1時間を乗り切るかに頭を持っていってました。
そもそも勉強なんてしてないので、一夜漬けで発表の準備をするというダメな学生ですね。
尚更、仲良い人たちと会える学外の方に足が向いてしまいました…
元々研究の進度が周りより遅れてたので、負のスパイラルでした。
落ち着いた後 担当教員に会いに行った時、
「皆で卒業できなくて悲しそうだったよ」と話があったんですけど、全然心に来るものがなくて自分でも引いてしまいました…



3.卒論する意味を考えすぎておかしくなった

3つ目は内向的な自分の特徴ですね。
「自分の本当にやりたいことは学外での活動なのに、楽しくもない卒論を何でやらないといけんの…」
ていうゴールのない思考の繰り返しでした。
大学進学当時は高校の教員を目指していて、今の学部もコースもそのために入ったようなものでした。
それが3年の夏の就職を考える時期に、教員にならない!と決めたのもあって、それまでの2年と少しの大学生活の価値が一気にガタ落ちしたわけです。
そんな過去と卒論で苦しんでいる現状の板挟みになって、精神的に危ない時期でした。
中高時代は鬱病で苦しんだのもあるので、自分の心にはしっかり向き合ってあげなきゃいけないと勉強になりました。



留年が確定してから

・親に相談
・信頼できる友人に打ち明ける
・留年したことをツイートする
・ツイートが一部の知り合いにバレる(半ば意図的)
・内定先に理解してもらう
・何かふっきれてネタにし始める
・何か寂しくなってブログにする←いまここ


この期間、人に会う以外は完全なダメ人間生活ですねえ。
昼夜逆転、食事やらゲーム以外はずっと寝てる みたいな。
自分は調子悪いとき、普段の過ごし方に一番悪いのが出ちゃうみたいで。。
そんなこんなで誰かとシェアハウスでもして生活した方が良いんじゃないかと思ったりするわけです。


打ち明けた人は家族を含めて自分の現状を全く否定的に捉えることがなかったので、良い友人をもったなあ と感涙したわけです(涙を流したとは言ってない)。
内定先の社長さんもホントに良い方で、予定通り4月から働けることとなりました。


これからの青写真

まあしくじった過去はどうやってもやり直しできないので、今後について建設的に考えるしかないわけですね。

・2-3月はバイトで稼ぎながら卒業旅行っぽいことをして、学生生活に一旦区切りをつける
・4月から内定先に非正規で働き、拠点を倉敷に移していく(二拠点生活の始まり)
・安定して収入を得ながら卒論を6月中に仕上げる
・9月卒業してスムーズに社会人へジョブチェンジ完了!



さあこれをどこまで実現できるか見物ですなあ。
上手いこといくように頑張っていきます!

とりあえず岡大近くの拠点に誰か住んでくれんかなあとゆる~く探しているところ。
(大家さんの許可はとってる)


進捗は忘れないようにちゃんと更新していこうと思います(まあそれでも月に1回程度かと)。
では。