ことはのあや

日々の想いや雑感をできるだけ飾らず発信します。文体や一人称に揺らぎが見られるのは仕様です。悪しからず。

ゆったり感

前回のエントリーでもちょろっと「~しなければならない」は苦手だ ということを書いた。
armaro.hatenablog.com



今回はそのことを少し掘り下げてみようと思う。





私はあまり義務感を感じずに生活していたいと思っている。


「~しなきゃ…!」という状況では大したパフォーマンスを発揮できないものだし、 そのことで頭がいっぱいになって精神的にも疲れてしまう。



元々「~しなきゃ…!」に頭を支配されがちだったのも理由としてある。


やらなければいけないことは当然行動に移すべきだが、そのことで頭がいっぱいになって目の前のことに手がつかないのでは元も子もない。



義務の意識を感じて良い思いをしたことは私の経験上ない。




ところが、義務感とは違う「これはやった方がいいな」と感覚的に感じる瞬間が稀にある。


いわば突き動かされるような感覚である。



言葉としては直感とか第六感的なものが近いのだろうが、私はしばらくの間この感覚を表す言葉を探していた。


そしてある時、「使命感」という言葉がしっくり来ることに気付いたのである。


使命 というのは日常的に用いる言葉ではないだろう。

他意はないが少し胡散臭い印象も受ける。
コンサルとかではよく使うかもしれないが…



押しつけられるのでもなく自然と体が動いてしまう この使命感。


ある時、友人から「使命って 命を使う と書くんだね」と言われたことがある。
(どんな状況だ と思われるかもしれないが、そんなことがあったのは事実)


命を使う とても良い表現だと思う。


そこには押しつけとかは一切なく、生きるという前向きな意思を感じる。



使命となるとかなり難しそうに思えるが、簡単な言葉にすれば 目的 とかがわかりやすいのではないか。

(※9月8日追記※


存在意義の方がわかりやすいな…)




こんなことを黙々と考えていたのはもう半年以上前のことで、その頃の私は自分の使命を「人と人をつなぐ」こととしていた。


自分の知り合いが互いに繋がる瞬間に強い喜びを感じる。


今も特に変わりはないものの、人をつなぐ仕事や活動に関わっているわけではない。

そろそろ動かないとなという気持ちもある。




人同士が繋がる場所に関わるのがこれからの自分の姿かな というのが現時点での答え。
そんな難しく考えなくていいのかもしれないけど、考えてしまうのが私の性。


これはこれでいい。